物語に織り込まれた、本物の万葉歌八十一首——連載最終回

読みもの|『越中万葉物語 あゆの風』刊行によせて 五(最終回)

しなざかる
越に五年
住み住みて
立ち別れまく
惜しき宵かも

大伴家持(万葉集 巻十九・四二五〇)

都を遠く離れたこの越の国に、五年住んで、住みなじんで——いま立ち別れようとする今宵の、なんと名残惜しいことか。

家持が越中を去る間際に詠んだ歌です。五年間の重みが、「住み住みて」というたった五文字に沈んでいます。

この連載も、今回が最終回です。締めくくりに、近刊『越中万葉物語 あゆの風』のいちばん大きな特徴について、版元からお話しさせてください。この物語には、実在する万葉集の歌が、八十一首、織り込まれています。

物語は創作、歌はすべて本物

『あゆの風』は小説です。家持が越中で出会う人々、交わされる会話、起きる出来事——その多くは、史実の骨組みの上に想像で肉付けした創作です。

けれど、作中で詠まれる和歌は違います。登場する万葉の歌は、一首の例外もなく、千三百年前に本当に詠まれた歌。しかも物語の中に、詠まれた順に近い形で配置されています。本文では歌のあとに〈巻十七・四〇一七〉という形で出典を添えてあるので、どれが本物の歌なのかは、読みながらいつでも確かめられます。

一方で、いちの祖母がうたう子守歌や、田植え歌、弔いの歌——文字を持たなかった人々が暮らしの中でうたい継いだであろう歌々は、この物語のための創作です。これらには出典番号を付けず、巻末で「創作歌」としてはっきり区別しました。どこまでが本物で、どこからが想像か。その線を読者に隠さないことは、この本の設計方針です。

この連載で出会った歌に、物語の中で再会できます

じつは、この連載の四回で紹介してきた歌は、すべて物語に登場します。

書名の由来となった「あゆの風」の歌(巻十七・四〇一七)は、物語の冒頭近くで詠まれ、そして第四章の別れの場面で、もう一度うたわれます。最初に読むときと、物語を経て再び聴くときとで、同じ歌の響きがどう変わるか——ここはこの本の要のひとつです。

雨晴の磯を詠んだ「馬並めて」の歌も、高岡駅前の像になっていた堅香子の歌も、阿尾の藪の中の碑に刻まれていた英遠の浦の歌も、立山の雪の歌も、それぞれの場面で顔を出します。連載を読んでくださった方は、歌碑や車窓の風景を思い浮かべながら、物語の中でそれらの歌に「再会」することになるはずです。

家持だけではない、八十一の声

八十一首の内訳にも、この物語の狙いが表れています。

詠み手は家持だけではありません。友人・大伴池主と取り交わした贈答の歌。都から来た使いの田辺福麻呂が布勢の湖を讃えた歌。宴に侍った遊行女婦(うかれめ)・土師(はにし)の歌。僧・恵行の歌。家持の叔母で、万葉集を代表する女性歌人・大伴坂上郎女の歌。さらには作者の名も残らない、越中の民謡として万葉集に収められた歌まで。

国守から、名もなきうたい手まで。連載の第一回で「万葉集はあらゆる人々の声を分け隔てなく収めた歌集だ」と書きましたが、この物語の八十一首は、いわばその縮図になるように選ばれています。

越中の外の歌も、少しだけ登場します。たとえば、元号「令和」の出典となった大宰府の梅花の宴の歌。子を思う心を「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに」とうたった山上憶良の歌。物語の中で、これらの歌がなぜ、誰の口から語られるのか——それは読んでのお楽しみです。

巻末付録は「万葉集への入口」です

本書の巻末には、八十一首すべての一覧(巻・歌番号・作者)を付録として収めました。物語を読んで心に残った歌があれば、番号をたよりに『万葉集』そのものを開いてみてください——という、次の読書への案内図です。

物語から入って、万葉集にたどり着く。この本が、そういう一冊になってくれることを願っています。

最後に、ひとつ楽しみな知らせを。この秋、10月2日(金)から4日(日)まで、高岡市で「高岡万葉まつり」が開かれます。古城公園のお堀に浮かぶ水上舞台で、万葉集全二十巻・四千五百余首を、市民が入れ替わり立ち替わりリレーで詠み継いでいく「朗唱の会」——四十年近く続く、全国でもここにしかない祭りです。天皇の歌も、防人の歌も、名もなき農民の歌も、等しく声に出して読み上げられていく。この連載の第一回に書いた「あらゆる人々の声の歌集」という万葉集の姿が、そのまま現代の高岡で、三日間かけて立ち上がるのです。

「高岡万葉まつり」

『あゆの風』の刊行を9月末に定めたのは、この祭りの直前に、物語を持って万葉の秋を迎えていただきたいからです。祭りで歌の声に触れ、物語で家持の五年間を旅し、そして氷見線に乗って歌碑の立つ浜へ——高岡から氷見へと続く万葉の道を、この秋、ぜひ歩いてみてください。

五回にわたる連載を、お読みいただきありがとうございました。万葉集がなぜ今も届くのか。家持の五年間に何があったのか。「あゆの風」とは何か。その風景は今どこにあるのか。そして、物語にどんな歌が息づいているのか——お伝えしたいことは、ひとまずここまでです。あとは、物語がお手元に届く日を待つばかり。刊行日・価格などの詳細は、決まり次第「お知らせ」にてご案内します。

近刊予告

越中万葉物語 あゆの風

大伴家持、越中五年間の物語。都育ちの青年貴族は、この地で何に出会い、いかにして「名もなき声の聞き手」となったのか。実在の万葉歌八十一首を織り込んで描く長篇。巻末に全八十一首の出典一覧を付す。北前書店より近日刊行予定。