「あゆの風」とは何か——書物にない、生きた言の葉

読みもの|『越中万葉物語 あゆの風』刊行によせて 三

あゆの風 いたく吹くらし 奈呉の海人の
釣する小舟 漕ぎ隠る見ゆ

大伴家持(万葉集 巻十七・四〇一七)

東風(あゆのかぜ)が、ずいぶん強く吹いているらしい。奈呉(なご)の漁師たちの釣り小舟が、波の間に漕ぎ隠れては、また現れるのが見える——。

奈呉の海は、今の射水市、新湊のあたりの海です。国府の高台から富山湾を眺めていた家持の目に、波間に見え隠れする小さな舟が映りました。何気ない春の海の風景。けれどこの一首は、万葉集四千五百首のなかでも、ちょっと特別な歌なのです。

近刊『越中万葉物語 あゆの風』の書名は、この歌から採りました。今回は、その「あゆの風」という言葉の話です。

家持自身が書き残した「翻訳メモ」

この歌の「東風」という文字には、万葉集の原文に、家持自身によるものと考えられる注が添えられています。いわく——越の国の言葉では、東風のことを「あゆのかぜ」と言う。

つまりこうです。都の言葉では、東から吹く風はただの「東風(こち)」。ところが越中の人々は、海から吹きつけるあの風を「あゆのかぜ」と呼んでいた。家持はその土地の言葉をそのまま歌に詠み込み、都の読者には分からないだろうからと、わざわざ説明の注まで付けたのです。

千三百年前の歌集に、地方の方言が、注釈つきで記録されている。これはとても珍しいことです。

当時、書き言葉の世界は漢籍と都の教養で出来ていました。地方の口語は、書物に載る資格のない言葉だったと言っていい。それを家持は、消さずに、直さずに、「安由乃可是(あゆのかぜ)」と万葉仮名で書き留めました。土地の言葉には土地の言葉の値打ちがある——そう認めた瞬間が、ここに残っているのです。

その風は、今も吹いている

驚くのは、ここからです。

富山湾の沿岸では、今も、春から夏に海から吹くやわらかい風を「あいの風」と呼びます。「あゆ」が「あい」へ。呼び名をわずかに変えながら、この言葉は千三百年のあいだ、同じ海辺で使われ続けてきました。

あいの風は、沖から魚を運んでくる豊かさの風だと、土地では言い伝えられてきました。県内を走る鉄道が「あいの風とやま鉄道」と名付けられたのも、この言葉が今なお富山の暮らしに根を張っている証しです。

家持が歌に書き留めた小さな方言は、書物の中の化石にはなりませんでした。今日も富山湾を渡って、生きて吹いています。

富山湾越しに望む立山連峰
富山湾越しに望む立山連峰

だから、この物語の題になった

都からやって来た若き国守・家持は、書物の言葉だけを頼りに生きてきた青年でした。その彼が越中で出会ったのは、書物には載っていない、けれど確かに生きている言葉たち——海の言葉、田の言葉、祈りの言葉です。

文字を持たない人々の声に、名を残さない人々の歌に、耳を澄ますこと。のちに万葉集という形で実を結ぶその姿勢は、「あゆのかぜ」という一語をわざわざ注釈つきで書き留めた、あの筆づかいの中に、もう芽生えていたのではないでしょうか。

近刊『越中万葉物語 あゆの風』は、その出会いの物語です。書名に、これ以外の言葉は考えられませんでした。

次回は、家持が歌に詠んだ土地を実際に歩きます。布勢の湖、奈呉の浦、二上山——千三百年前の歌の風景が、今もそこにあります。

近刊予告

越中万葉物語 あゆの風

大伴家持、越中五年間の物語。都育ちの青年貴族は、この地で何に出会い、いかにして「名もなき声の聞き手」となったのか。実在の万葉歌八十一首を織り込んで描く長篇。北前書店より近日刊行予定。