越中万葉をあるく——氷見線に乗って、千三百年前の歌の風景へ

読みもの|『越中万葉物語 あゆの風』刊行によせて 四

立山に
降り置ける雪を
常夏に
見れども飽かず
神からならし

大伴家持(万葉集 巻十七・四〇〇一)

立山に降り積もった雪は、夏になっても消えない。いくら見ても見飽きることがない。神の山だから、なのだろう——。

この記事は、本来もう少し早く公開する予定でした。けれど8月27日、記録的な大雨が氷見市を襲いました。川が氾濫し、家々が浸水し、集落が孤立し、そして高岡と氷見を結ぶJR氷見線は、線路に土砂が流れ込んで止まりました。まさに、この記事で歩こうとしていた道そのものです。被災された皆さまに、あらためてお見舞い申し上げます。

その氷見線が、復旧作業を経て、9月6日、再び走り始めました。ならば、この記事の出番です。家持が歌に詠んだ場所は、その多くが今も特定できる。実際に立ってみればいい——そして今は、この線に乗って氷見まで行くこと自体が、復興へ向かう氷見のまちへの、ささやかな応援になります。

高岡駅から氷見へ、富山湾の際(きわ)を走るJR氷見線。この短いローカル線が、越中万葉の舞台をほぼそのままなぞって走るのです。

起点・高岡駅——駅前に、歌がひとつ立っている

旅の始まりは高岡駅。駅前広場で出迎えてくれるのは、ひとりの貴族の像——ではありません。よく見てください。筆と紙を手にした家持のかたわらで、娘たちが木の桶で水を汲み、足もとにはカタクリの花が咲いています。これは肖像ではなく、家持がこの地で詠んだ一首の「場面」を、まるごと青銅にした群像なのです。

「もののふの 八十娘子らが 汲み乱ふ 寺井の上の 堅香子の花」(巻十九・四一四三)——大勢の娘たちが、にぎやかに入り乱れて水を汲む。その寺井のほとりに咲く、堅香子(かたかご)の花よ。堅香子とは、カタクリの古い名前です。春の井戸端の、ただそれだけの情景。けれど千三百年経っても色褪せない、越中万葉きっての人気の歌です。

駅を出た瞬間から、この街は歌で迎えてくれる。なにしろ高岡では、路面電車の名前が「万葉線」。千三百年前の歌集の名を冠した電車が、今日も市街地をことこと走っています。

  堅香子の歌の情景を再現した大伴家持と娘子たちの像
堅香子の歌の情景を伝える家持と娘子たちの像(高岡駅前) 撮影:北前書店

伏木——国府跡の高台と、万葉歴史館

氷見線に乗って十数分、伏木駅で降ります。ここが、家持が五年を過ごした越中国府の地。小矢部川の河口を見下ろす高台には古刹・勝興寺が構え、その一帯が国府の跡と伝えられています。振り返れば、家持がくり返し歌に詠んだ二上山。

そしてこの伏木には、家持と越中万葉を専門とする「高岡市万葉歴史館」があります。展示で越中万葉の全体像をつかめるのはもちろんですが、おすすめしたいのは庭です。四季の草花——万葉の歌に詠まれた植物たち——が植えられた庭園を歩いていると、歌集のページの中を散歩しているような心地になります。

高岡市万葉歴史館の庭園
高岡市万葉歴史館の庭(高岡市伏木) 撮影:北前書店

雨晴——家持が馬を駆った、渋谿の磯

伏木から二駅、雨晴(あまはらし)駅へ。ホームを降りれば、もう目の前が海です。海越しに、立山連峰が白く連なる——日本でも指折りの車窓風景として知られるこの海岸こそ、家持が「渋谿(しぶたに)」と詠んだ場所です。

連載第二回の冒頭に掲げた歌を、思い出してください。「馬並めて いざ打ち行かな 渋谿の 清き磯廻に 寄する波見に」。馬を並べて、さあ行こう、渋谿の清らかな磯に寄せる波を見に——千三百年近く前、家持がここへ部下を誘った歌です。景色は、驚くほどそのままです。

雨晴海岸から望む女岩と立山連峰
雨晴海岸。沖の女岩の向こうに立山連峰が連なる

阿尾——藪の中に、「あゆの風」の歌碑

終点の氷見からさらに海沿いを北へ行くと、阿尾(あお)の集落に着きます。万葉集に「英遠(あお)の浦」と詠まれた浜です。今回の大雨では阿尾川が氾濫した地域でもあり、周辺の道路や暮らしはまだ復旧の途上にあります。訪ねる際は、最新の交通情報を確かめ、復旧作業の妨げにならないよう心を配ってください。

浦を見おろす高台の、木立の中。夏草をかき分けた先に、一基の歌碑がひっそりと立っています。刻まれているのは、家持がこの浜で詠んだ一首。

「英遠の浦に 寄する白波 いや増しに 立ちしき寄せ来 東風をいたみかも」(巻十八・四〇九三)

英遠の浦に寄せる白波が、いよいよ増して、次から次へと立ち寄せてくる。東風(あゆ)——あゆの風が強いからだろうか。そう、前回の記事で紹介したあの「あゆの風」が、ここにも吹いているのです。

英遠の浦の歌碑
木立の中に立つ英遠の浦の歌碑(氷見市阿尾) 撮影:北前書店

この碑には、観光地の華やぎはありません。案内板と、木漏れ日と、葉ずれの音だけ。けれど、それがいいのです。千三百年前の歌が、誰に誇るでもなく、詠まれた土地の茂みの中に静かに根を張っている。越中万葉の凄みは、こういう場所にこそ現れます。

歌集を持って、汽車に乗る

高岡駅の家持像から、阿尾の藪の中の歌碑まで。半日あれば回れる小さな旅ですが、車窓の右手にはずっと、家持が見たのと同じ海と山が流れています。

越中万葉の歌は三百三十首あまり。今回歩いたのは、その入口にすぎません。布勢の水海の名残・十二町潟、奈呉の浦の新湊、松田江の長浜——歌の数だけ、立てる場所があります。帰省の折に、旅行の途中に、文庫本の万葉集を一冊鞄に入れて訪ねてみてください。

そして、もし氷見まで足を延ばすなら、駅前や港で一食とり、土産を一つ買って帰ってください。千三百年前にこの浜で歌が詠まれ、今もその歌碑を守っている土地に、ささやかな応援を残していく。それがこの秋、越中万葉をあるくことの、もう一つの意味だと思います。

さて、この連載も次回が最終回です。近刊『越中万葉物語 あゆの風』に織り込まれた、八十一首の本物の万葉歌の話——物語と歌がどう響き合うのか、刊行を前に少しだけお見せします。

近刊予告

越中万葉物語 あゆの風

大伴家持、越中五年間の物語。都育ちの青年貴族は、この地で何に出会い、いかにして「名もなき声の聞き手」となったのか。実在の万葉歌八十一首を織り込んで描く長篇。北前書店より近日刊行予定。